休校。

 

 

とても、共感出来たので

 

ここにコピペしておきます。

 

 

 

 

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コロナの影響で、各種学校の休校が続々と発表されています。

そんな中、「休校だからやることがない」と感じている子どもたちもいるようです。 
個人的には強い危機感を感じています。

  
もし日頃から「目的」があって学校に行っているとしたら、
そのための「授業、休み時間、活動、放課後、部活など」になっていると思います。
 
しかし、「休校だからやることがない」と感じるとするならば、

「学校に行く目的は特にない」
または「学校に行くことが日々の目的になっている」と言わざるを得ないと思います。

  
何のために学校に通っていたのか?

 
それがないため、または曖昧なため
「休校でやることがない」と悪気がないまま感じるのだと思います。

 
少し余談になりますが、
「定年後やることがなくなる」という大人の構造も、同じと言えます。

何か個人として、「目的」があって仕事をしていたのであれば

仕事がなくなった後でも
その「目的」に向かって日々歩んでいくことができます。
 
「仕事に行くことが目的」、
そこで「何をするかどうやってやるかが目的」になっているからこそ
「出社」がなくなった途端に何をすれば良いかわからなくなってしまうのです。

つまり、「なぜその仕事をしていたのか?」
「その仕事を通して成し遂げたいことは何か?」といった
「目的」が「主体的な行動」に繋がっていくのです。

 
話を学校に戻しましょう。

「なぜ学校に行くのか?」
「なぜ学校で授業を受けるのか?」
「なぜ部活をするのか?」

そこに目的意識があれば、学校という「場」がなくなったとしても
その目的に向かって工夫しながら行動が生まれていくはずです。

 
やることがない……

 
それは「日々に目的がない」ということです。

 
「なぜ学校に行くのか?」
「なぜ勉強するのか?」
「なぜ部活をするのか?」
「なぜ進学するのか?」
「なぜ勝ちたいのか?」
「なぜ就職するのか?」

  
これらのような「Why型思考」は現代に必要とされるている能力である
「クリティカルシンキング(批判的思考力)」を高めることに繋がっていきます。

そして「目的」意識が高まり
『日々の時間に価値や意義を自ら生み出せるようになっていきます』。

子どものうちから『日常生活に「なぜ?」を散りばめる習慣作り』を。

 

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願わくば…

 

将来、この時の事を振り返った時に

 

『あの時があったから…』

 

と、言えるようにしたいですね。